豊臣大坂城

1583年(天正11年)戦国時代には石山本願寺とその寺内町であった地に、豊臣秀吉が築城を開始した。完成に1年半を要した本丸は、石山本願寺跡の台地端を造成し、石垣を積んで築かれたもので、巧妙な防衛機能が施された。秀吉が死去するまでに二の丸、三の丸、総構えが建設され、三重の堀と運河によって囲むなどの防衛設備が施された。天守は、絵画史料では外観5層で、瓦などに金箔をふんだんに用いた華美な姿で描かれている例が多く、それに則した復元案が出されている。大坂城の普請中に秀吉を訪問し、大坂城内を案内された大友宗麟は、大坂城を三国無双と称えた。築城者である秀吉自身は、京都に聚楽第、伏見城を次々に建造し、大坂城よりもむしろそちらに居城した。秀吉死後の1599年(慶長4年)、秀吉の遺児豊臣秀頼が伏見城から完成した大坂城本丸へ移り、また政権を実質的に掌握した五大老の徳川家康も大坂城西の丸に入って政務を執った。
update:2009年08月23日